kokonani

論文というものがある。

2月くらいにも話した気がするが、うちの会社の悪しき習慣のひとつである。
それなりの大きさの会社には結構な確率で存在するんじゃないかな。

発表もいいよ。論文も書こう。
だが一番我慢ならないのは「この会社のために」なることを
論文にしなければいけないということだ。

なぜ君がこの会社にいて、なぜ君がこの部署にいて、なぜ君がこの仕事をしているのか。
建前上はこの2年間でどれだけ自分が成長したのかを見てもらうためにある。
だが最後の理由としてついてくるのはやはり「会社のため」「業務のため」なのである。

これがめんどくさい。もー死ぬほどめんどくさい。
「会社のため」の意味は研究部署ならともかく設計開発(兼保守)にとっては
本当に面白くない制約だ。

・コストが下がる
・利益につながる

まぁとどのつまりこれだ。

そして一番むかつくのが評価だ。
単純な性能評価ができる開発ならすばらしいと思う。
だがそれ以外の場合、評価手法見ると馬鹿じゃねぇの?と思う。
(これはM岡研の中間発表を見ててもいつも思ってたことである)

いや。ぶっちゃけていうと評価というものがないんじゃないか?

「〜だけコストが下がりました!」
はぁ?どうやってはかったの?

「新しい機能をつけました!これだけ便利になりました!」
どんだけ?どういう基準?

やめろよこんな習慣。
この習慣がなければ絶対、製品がもうひとつ開発できてるって。

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で、まぁ今日はいろいろブレスト的なものをしてたわけだが

「結局、会社のためになることをしなきゃいけないんですよね?」
「んー、じゃあ君は会社のためにやるつもりなの?」
「違います。」
「違うよね。君が2年間やってきたことをみんなに自慢するためにやるんだよ。」
「結局自慢するためには皆にとってうれしいことをやらなきゃだめですよね?」
「皆にとってうれしいことってなに?」
「結局、会社の利益になるような話につながらないと皆見ませんよね?」

そんな感じの押し問答が多かった。
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